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プラネット薬局 の日記

東京散歩ブログ 高円寺 気象神社

2014.05.29

東京散歩の誠兵衛です。
カメラ片手に出掛けた東京都内や近郊の街歩きコース、飲み歩きスポットを
ご案内するブログです。
時には番外編として折々のトピックスやイベントのご紹介もしてまいります。


今回はJR高円寺駅から日本で唯一の気象神社と町名の由来となった高円寺に出かけました。
高円寺と言えば本家徳島に次ぐ規模になった「阿波踊り」や作家「ねじめ 正一」の直木賞受賞作
「高円寺純情商店街」でその名前をご存知の方も多いと思います。近年は、若者向けのウェアやシューズの
リサイクルショップ(要は古着屋)が南口周辺にたくさん出来たことから、街を歩いていても若者率が
高いように感じます。同じ中央線沿線の吉祥寺と並んで若者たちに人気の街だけのことはある。
高齢化の進む中、なにやら頼もしい。

そんな若者の街に日本で只一つ気象の神様を祀る神社があるそうな。
最寄駅:JR高円寺駅、東京メトロ東西線高円寺駅南口から徒歩3分。

気象神社は氷川神社の境内にあります。
氷川神社は天文年間(1531年~1544年)の創建と伝えられるが、源頼朝が奥州征伐の際に
社殿を建立させたとも、あるいは家臣がこの地に留まり大宮の氷川神社を勧請して社殿を建立したのが
起源ともいわれている。いずれにせよ資料が火災により失われたため詳細は不明とのこと。



気象神社、元は現在の高円寺北4丁目にあった帝国陸軍気象部の構内に、1944年(昭和19年)4月10日に造営。
気象観測員が勤務前に気象予報の的中を祈願したという。戦後GHQの神道指令で撤去されるはずであったが、
連合軍宗教調査局の調査漏れで残存したことから払い下げを受け、1948年(昭和23年)9月18現在の氷川神社に遷座した。



例大祭は6月1日の気象記念日に行われる。
一般にはほとんど知られていないが日本で唯一の気象(天気)の神様として気象予報士を目指す
受験生などに存在が知られ、合格祈願や快晴祈願などで参拝されている。


陸軍気象部は参謀長直属で、部長は少将クラス。気象予報は、部隊の移動や作戦実施にとって
極めて重要な情報。
現在は気象衛星や各地に設置された観測機器、さらには大型コンピューターなどが整備されていますが、
当時は各地の気象台や前線部隊に配置された気象隊からの限られた情報のみを使っての気象予報ですから、
それこそ神頼みしてでも予報が的中することを必死に願っていたのでしょうね。

それにしても6月1日が気象記念日とは知らなかった。あまり役には立ちそうにないが、勉強になりました。



高円寺
気象神社を後にし、環七方向に5分ほど歩いて町名の由来となった高円寺「宿鳳山高円寺」へ。
こちらは曹洞宗のお寺です。

もともと当地は江戸時代初期まで「小沢村」と呼ばれていたそうな。
徳川三代将軍家光が鷹狩りでしばしば訪れ、村内にある宿鳳山高円寺で度々休憩した。家光は
この寺が気に入り、境内に仮御殿が作られたとのこと。このような経緯から寺の名前が有名になり、
正保年間には地名が小沢村から高円寺村に変更され、これが現在の「高円寺」の地名の由来になった。

鷹狩りと称しているが、本当は家光公ごのみの美人が居たんではないんでしょうか?
小説か大河ドラマのネタになりませんかね。 
「将軍家光、高円寺詣でに秘めた恋」とかなんとか。


参道はカエデのトンネル。日差しを遮り、昼でも少し薄暗い。振り返ると緑のトンネルの向こうに山門が
額縁のように見えます。落ち着いた境内、静寂の時間が流れます。秋にはトンネルが真っ赤に染まるんでしょうね。
そのころまたお邪魔します。




駅に戻ると昼間から焼き鳥屋がオープン。店の前にビールケースを利用した簡易テーブルと椅子。
皆さん昼酒を楽しんでらっしゃる。高円寺と言えば「やきとり大将」。南口に2店舗、北口にもお店があります。
本店は平日午後3時から、日曜は12時から開店です。店外で飲む際は、
高円寺駅に停車した電車の窓から丸見えですから、ご用心を。



>ここで一句<
高円寺 みどりのトンネル 風ぬける
お昼から 飲んでのまれて 高円寺

今回はここまで。
東京散歩の誠兵衛でした。

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