プラネット薬局 | 日記 | 東京散歩ブログ 葛飾柴又散策 その2

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プラネット薬局 の日記

東京散歩ブログ 葛飾柴又散策 その2

2014.03.12

東京散歩の誠兵衛です。
カメラ片手に出掛けた東京都内や近郊のおすすめ街歩きコース、飲み歩きスポットを
ご案内するブログです。

今回は、帝釈天から江戸川方向に歩いて、お待ちかね寅さん記念館とこれに隣接して
2012年12月にオープンした山田洋次ミュージアムを見学します。


寅さん記念館




寅さん記念館、山田洋次ミュージアム、近くにある山本亭(全て葛飾区運営)の共通入場券がお徳。
550円で、当日ならば、何回でも入場できます。つまり1回目はさらっと、食事やお茶の後、
再度気に入った箇所を見るなんて利用者の利便性を考慮したシステム。有り難いですね。
寅さんに代わって御礼申し上げます。

「ヨッ、見上げたもんだよ葛飾区!いい仕事してるね~。」

館内には所狭しと映画、寅さんや出演者の説明掲示、動画、とらや(くるまや)の店内、お茶の間、
タコ社長(桂梅太郎という立派なお名前)と博士が働く印刷工場などの再現セット等盛り沢山の内容。
さすが映画会社や山田監督も協力して作り上げた寅さんの殿堂。見せ方が上手い。プレゼン決まってる。

動画や音声も多用され、寅さんファン、映画ファンなら半日居ても飽きない。

「大したもんだよ、カエルのしょんべん。見上げたもんだ、屋根屋のふんどし。」 
「さあ、ものの始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島。ね。
博打打ちの始まりが熊坂の長範。どう。」

「七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の柱に萱の屋根、手鍋下げてもわしゃいとやせぬ、ね。
信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたのそばがよい。」

お馴染みの寅さんの威勢の良い啖呵バイや名せりふが館内あちこちから聞こえてきます。

一度に詰め込むと大盛りカレーの如く、胸につかえるので、ここでしばし休憩。外に出ると中庭のようなスペース。
足元には寅さんがロケをした各都道府県、海外はウィーンのレリーフがあります。
また、男はつらいよシリーズ全48作のタイトルが掲示してあります。(48作目の後、渥美清氏は1996年逝去。
同氏を偲んで寅次郎ハイビスカスの花 特別篇が製作され1997年上映。)

寅さん、天国でも私たちを見守って、時々声掛けてくださいね。

「労働者諸君、今日もお仕事、ご苦労さん!」

<寅さんに対する海外の評価>
日本での大人気を引っさげ、寅さんの映画を海外の映画祭へ出品しようとしたところ、審査員には不評。
上演までこぎつけることはなかった。欧米の審査員には、当時高度経済成長期にあった勤勉な日本人の
イメージからは程遠い、気ままで周囲に迷惑を掛ける寅さんを何故日本人が評価するのか、
疑問視する姿勢であったそうな。
ではと言うことで、日系人の多く暮らす南米なら受けるはず。映画祭参加ではなく実際に上映したところ、
これが期待はずれ、まったく流行らなかったそうだ。映画を見た南米の人に聞くと、

「寅さんのような生き方をする人は、私たちの周りにはどこにでもいる。珍しくもない、いわば
普通の人のありきたりな話で、面白くなかった。」そうな。

周囲に気遣い(最近はやや廃れてきたが)、右にならえの行動志向。ややもすると息苦しい管理社会に
暮らす多くの日本人にとって、寅さんみたいに一見自由気ままでおおらかな生き方をすることは無理である。
だからこそ人々は寅さんに叶わぬ夢を託しつつ、笑い、涙したのではないだろうか。

外国の方には寅さん映画の楽しさが分んないのか。ちょっと悔しい気もするが、日本人だけの密かな喜び、
秘め事ってやつか。それはそれでよござんすよ。


>ここで一句<
とら去りて いくとせ経ちぬ 柴又の春
柴又に ひびきわたるは 名せりふ
柴又を トラにさそわれ そこかしこ

山田洋次ミュージアム


寅さん記念館の真向かい、2階は通路でつながっています。
山田監督駆け出し時代から、男はつらいよシリーズ、学校シリーズ、時代劇そして最新作の
「小さいおうち」まで各時代の作品群の説明が出演者の写真、名場面そしてそれらの作品製作に関する
監督の思いを伝える言葉と共に掲示されています。すごく分り易い。ここでもプレゼン上手。

小津安二郎監督作品「家族」のオマージュである「東京家族」のコーナーもあります。
じっくりと眺めて、監督の言葉に耳を傾ける。大きなスペースではありませんが、
山田洋次監督の世界を堪能できます。


山田洋次監督のコメント(ミュージアム内の掲示から)
寅さんシリーズに関して
この過酷な競争社会で草臥れた人々は、映画館の中で「寅さん」の物欲に全く煩わされることのない
愚かな行為に笑いながらほっとする。他人を押しのけたり、踏みつけたりという競争の中で
ささくれてしまった人たちが、少しでも癒されるのではないか、とは思ったりするのです。」


武士の一分に関連して
映画監督であるからには、自分の作る映画には責任を持つ。見た人の心に温かいものが残せるかどうか、
消えようとしている残り火がポッと赤く燃え出すような作品をつくることができるか。

それこそがぼくの”一分”です。


<寅さんのモデル>
あるテレビ番組で山田監督が、寅さんにはモデルというかそのヒントになる人物が居たと明かされました。
戦後まもなく旧制中学生だった山田さんは山口県宇部から日本海側の長門まで汽車で魚の干物の
買出しのアルバイトに出かけていたそうです。当時は客車が不足し、貨車に大勢の人が鈴なりに乗り込んで、
山田さんは場所を確保出来ず、貨車の外にぶら下がる。
貨車の中に大声で笑い話をするオジサンに遭遇。オジサンは山田少年に気付いても、優しい言葉で
「ガンバレよ!」とかは云わず、「少年、居眠りしてると落っこちるぞ!」とか何とか、今の言葉で
表現すればいじって、これで貨車の人々は大笑い。山田さんもつられて笑い、貨車の握り棒を必死で
握り直したとのこと。
オジサンは直接的な労わりや励ましの言葉ではなく、笑いでみんなを盛り上げ鼓舞していたように感じたそうです。
この経験が後の寅さん誕生につながったんでしょうね。


>ここで一句<
山田さん よくも 撮ったり四十九本
さくらまくら いい間違えて まくらさくら

今回はここまで。次回は矢切の渡しから。
東京散歩の誠兵衛でした。  

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